白い手球がテーブル上を縦横無尽に走り回り、テンポ良くひとつずつ的球をポケットに沈めていき、気がつけばテーブルの上には手球だけが佇んでいる。こんな光景を思うがままに自分で作り出したいと考えるのが、ビリヤードの魅力にはまった人たち共通の願望だと思います。しかし、その手球を走らせるのはほかでもない自分であり、動きをコントロールするには経験だけが物を言います。はたして、手球をコントロールするのに必要なこととは何でしょうか。それはただひとつ。

キュー先から手球に与える正確かつ豊富な情報、これこそがビリヤードというゲームを操る要となる部分なのです。

「球は正直だ」という言葉を口にする人が多いですが、まったくそのとおりです。テーブルのコンディションなどを除けば、手球はキュー先から与えられた情報に従ってしか動きません。同じテーブルでゲームをしていれば条件は相手も同じです。ミスをすれば、悪いのはすべて自分です。その点を考えると、ビリヤードは対戦型の競技でありながら、テニスや卓球などとは違い、むしろ体操や砲丸投げといった個人競技の側面を多く含んでいる数少ない競技であると言えます。しかも、ボーリングなどとも違い、必ず自分の順番が回ってくるとも限りません。ノーミスでポケットし続ければ、相手の出番を一度も許さないまま勝利することだってできるのです。このあたりにビリヤードという競技の言葉にできない不思議な魅力が隠されているようですね。

さて、キューという唯一の道具から、手球にはどのような情報を伝えることができるのでしょうか。それは、方向、回転、強弱、そして摩擦力です。方向という情報で狙いに向かわせ、回転と強弱の組み合わせでコントロールし、時には摩擦力を加えることで強制的に変化させるのです。伝えられた情報に忠実に手球は動きます。すなわち、与えられた情報の正確さが重要なわけです。この情報をいかに正確に伝えられるようになるか、これが上達というものなのです。

狙うべき方向、すなわち「厚み」の正確性は反復練習で身に付きます。回転、すなわち「ひねり」については、上下左右を自由に使いこなせるようにしたいところです。こればかりはキューの性質によっても個人の感覚によっても異なりますから、一人の練習でじっくり取り組む部分です。強弱については奥が深いものです。ただ強く撞いたり、弱く撞いたりするものではありません。いたずらにストロークの強弱だけで調整しようとするのは、狙いのブレにつながります。キュー出しのスピードを変えなくても、上下の撞点を操ることで、手球が的球に達したときの強弱をある程度は調整できます。

緻密で正確な情報を発信するには、自分のアーカイブに豊富な情報を蓄積する以外に方法はありません。そのためには経験を積み重ね、知識を貪欲に吸収することです。上級者のテクニックを盗むことです。多くのプレイヤーが難しいと言うショットをあえて練習し、得意なショットにしてしまうことです。苦手だと思ったショットも同様です。手球が思ったとおりに動かせる快感は、ただシュートするだけに比べれば何百倍にも匹敵するものです。思いついたことはすべて試し、自分が持つ情報量を増やしていきましょう。